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 北朝鮮による韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件から23日で1年を迎える。島内では被災地の復旧・復興作業が進み、仮設住宅に残る約30人も今月末ごろには新居に戻れる見通しだ。主産業である漁業も活況を帯びる。しかし、南北関係改善の道のりは険しく、住民に第二、第三の砲撃事件への不安も残る。【延坪島で西脇真一】



【写真特集】北朝鮮が韓国・延坪島を砲撃(2010年11月23日)



 22日午前、島の役場裏の黄海を望む丘に立った。至る所で軍や工事車両が激しく行き来し、砂ぼこりが立ちこめていた。小学校グラウンドには仮設住宅が並ぶ。1年前に焼き焦げた住宅密集地では被災住宅32棟の復旧作業が進み、既にれんが造りの真新しい建物も姿を見せていた。有事の際に800人以上を長期間収容できる避難施設もカ所、建設中だ。



 島の人口は約1700人だったが事件後、多くが島外に避難。だが今年5月ごろに大半が戻ってきた。仮設住宅39棟には約60人が入居したが最近、半分が新しい家に帰った。公共工事のために200人以上の建設作業員が島に移り住み、砲撃事件の現場を訪れる観光客も相次いだため、宿泊施設も増えた。



 島南西部の岬にある高台に平和公園がある。島周辺で99年と02年に起きた南北艦艇による衝突の犠牲者を追悼する施設だ。上ってみると、海を挟んで十数キロ先に北朝鮮本土がよく見える。慰霊碑には今回の砲撃で死亡した兵士2人分のレリーフが加えられていた。近くに民間人犠牲者2人の慰霊碑もあった。砲撃されて火災が起きた山の斜面は今も黒い山肌をさらしていた。



 延坪島は、黄海上の南北境界である「北方限界線」のすぐ南側に位置し、この海域では過去に南北の衝突が頻発している。国防省は即応体制を整えるため「西北島嶼(とうしょ)防衛司令部」を新設し、戦力増強を続ける。一方で、韓国政府は「紛争の海から平和の海」を目指して延坪島など5島の「総合発展計画」を策定。今後10年間に9100億ウォン(611億円)を投じて観光ルートの開発などに力を入れる。



 砲撃事件をめぐる南北の立場は平行線のままだ。韓国政府高官は「変わるべきは北朝鮮だ」と訴える。北朝鮮側は「責任は韓国側にある」と主張。22日も祖国平和統一委員会のウェブサイト「わが民族同士」は砲撃1年に関連した記事を掲載し、韓国側の軍備増強を非難した。



 関係改善が進まない中、島で民宿を経営する宋英玉(ソン・ヨンオク)さん(49)は「私たちにはどうしようもない」とあきらめムードだ。建築途中の民宿が砲撃を受けて全壊。今月ようやくオープンにこぎつけた。21日の宿泊客は、安全保障に対する意識向上のため政府などが主催した「巡礼の旅」参加者だった。その一人、仁川の高校生、崔鍾賢(チェ・ジョンヒョン)さん(16)は「朝鮮戦争(1950~53年)がまだ終わっていないと実感した。南北は互いの理解のために交流した方がいい」と訴えかけた。



 島民への心理的圧迫は続く。延坪幼初中高等学校の金炳文(キムビョンムン)校長は「韓国軍の訓練音に過敏になった子がいる」と話す。現在、心のケアの専門家チーム派遣を仁川市に要請中だ。全国災害救護協会などが先月、住民149人を診断した結果、44%が強いストレスを抱えていた。島に単身赴任中の男性(50)は「分断国家を生んだ責任のある国々は、南北の和解と統一のためにもっと協力してほしい」と訴えた。



 ◇ことば・延坪島砲撃事件



 2010年11月23日、韓国の砲撃演習に反発した北朝鮮が、黄海の韓国領・延坪島を砲撃。砲弾数十発が島内の韓国軍基地や民家に着弾し、軍人2人、民間人2人が死亡した。北朝鮮が韓国領土を砲撃し、人的被害が出たのは1953年の朝鮮戦争休戦以来初めてだった。島は、韓国が黄海上の南北軍事境界線と定める北方限界線(NLL)の南約3キロに位置する。







(この記事は韓国(毎日新聞)から引用させて頂きました)



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